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長岡中央綜合病院(助産師)樋口玲子 |
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中央病院は春秋2回の防災訓練を火災を中心におこなっています。看護部では主任会を中心に訓練をおこなってきました。私の所属する産婦人科病棟では、分娩時の避難の方法、新生児の避難の方法を、阪神・淡路の時のビデオをみながら取り組んできました。
地震の日は厚生連労組の定期大会の最後の日でした。家で休んでいたのですが、3回の地震を感じたのち、パジャマにジャケットを羽織って病院に駆けつけました。この時、私が病院正面ロビーで富所副院長と一緒にマイクを握っている姿がNHKで放映されました。それで病院が大変だと駆けつけてくれた方もいます。 |
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まっさきに二階産婦人科病棟に行って、どういう指示が出ているのと聞いたところ、「動ける患者さんは正面ロビーに移動して下さい」ということでした。準夜スタッフはカルテ、連絡網などすべての防災グッズを病棟の入り口に揃えていました。産婦人科医と私は患者さんを誘導してロビーにいきました。午後七時を過ぎていたと思うのですが、300人くらいの患者さんが集まっていました。補助員、看護師、医師、警備の方が集まり、管理者はまだ来ていませんでした。
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300人の患者さんを見たとき、誰かが本部を立ち上げなければと思いました。ちょうどその時、富所副院長が飛び込んできました。「私が指揮をとります。先生と私が本部です」と声をかけ仮本部を立ち上げました。最初はメガホンを使ったのですが、患者さんから声が聞こえないぞといわれ、マイクを持ちました。何からはじめてよいかわからず、自分が興奮しているのがよくわかりました。傍にいた栄養科の人が「樋口さん、水を配りましょう」と言ってくれました。「そうしましょう」といいますと手際よく配ってくれました。普段は、水なんてと思っていたんですが、この時の水は、患者さんを落ち着かせるよりも私自身が冷静さをとりもどす一つのきっかけになりました。 |
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それからは人数の確認、患者さんへの声かけ、患者さんへの情報提供、報道関係の人が一斉に来るなど、様々な問題が一度にきました。その都度職員を集めて指示をだすことを繰り返しました。
時間の経過とともにいろいろなことがおきてきました。ひとつの病棟の患者さんが食事を食べていないとか、赤ちゃんを抱えているお母さん20人位いたのですが、手が疲れてきているので赤ちゃんを寝かす広い場所を確保してほしいとか、在宅の患者さんの酸素ボンベの酸素がなくなってきている、手術室前の水道管が破裂して水が溢れ、患者さんを誘導しようにもできない、など次々にでてきました。
食事に関しては、栄養科の方におにぎりをお願いしたり、内科外来に赤ちゃんを寝かせる場所を確保したり、自分のなかで判断して決定してと「即座」にしなければなりませんでした。
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余震がひとまず落ち着いてきたのは9時過ぎだったと思うのですが、この頃には患者さんを寝かせなければならない。富所先生に、立川と日赤に電話連絡がとれますかと聞きましたら、「一切とれない」ということで、支援を依頼できる病院とは連絡がとれないんだということがわかりました。正面ロビーの次に避難場所に指定されているパストラルは、医師二人に見に行ってもらったところ、シャンデリヤがすべて落ちて使えません。
この場所で寝かせるしかありません。外来にある100本の長椅子をどうするか、集まってきた職員20人から30人をどのように配置して寝かせるのか、頭の中で想像しました。職員を二人一組にして寝具室や病棟にある布団をおろしました。柱に添って五等分にわけて患者さんを移動させました。重症患者さんはトリアージしてほしいとの医師からの指示もありました。
この日は救急当番日でした。病棟は満杯で、入院患者さんを待機させる場所がない。これを確保してほしいとも言われました。中央病院で患者さんが横になれる場所はリハビリ室です。ここも使うことにしました。
午前1時頃には、勤務者の誰を残して、誰に帰ってもらうかという選択をせまられました。日勤で残っている人、深夜の人、準夜勤務の人といろいろいました。まず明日日勤の看護師は帰ってほしいと言いました。すべてが終わったのは午前4時を回っていました。
同じ時間帯に、救急室では医師、夜勤師長や応援に駆けつけた人たちで、朝までに350人の患者さんを診察していました。
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私が感じたことは、対策本部などと書いている暇もたすきをかけている時間もなかったけれど、この場所を絶対に離れてはいけないということ、マイクを握っていると、患者さんと職員と、報道関係と全く立場の違う人たちが、マイクをとおして聞いていますので、一回ではっきりいわなくてはいけないと言葉を選んだことです。担当者を配置し、どの病棟のどんな患者さんが何人いるか把握するように徹底しました。おにぎりや、赤ちゃんの湯水、避難場所などみんながいろいろ言ってくれました。だめなものはだめとはっきりさせながら動いていたように思います。
備蓄のこと、災害拠点病院としてどうか、電気がないときある時、などいろんなことがあります。いまある自分の病院のマニュアル全般を点検しなければと感じました。
私たちは、夜勤師長が、管理者が、会本部がと、いつもトップから指示がおりてくるのを待っています。でも今回は、それは完壁にはできないんだということを感じました。職場の一人一人が判断して行動できる、自立した職員になっていくことが大事なんだなと思いました。そうなっていくには訓練を重ねること、訓練のなかで自立して考えられるようにしていくことが重要だと思います。
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