next
希望を抱き続けて
長岡中央綜合病院(看護師) 佐藤ちよ子

 10月23日は救急当番日の当直でした。日直から引継ぎの患者様がいてミーティングもそこそこに仕事に就きました。いつもは患者様の状況をみてラウンドに行きますが、当日はすぐ、行くことが出来ませんでした。17時56分 突然ドーンと突き上げられ次に左右に揺れを感じ一瞬何が起きたのか??? 地震だ!!

 揺れている間、壁に身を寄せおさまるのを待ちました。廊下に出ると一階の防火扉が一斉に開いており、埃が舞い火災が発生したのではと思うほどでした。

 三回目の余震後、地震による外傷の直接来院の方が来られ、その後は救急外来が戦場と化してきました。私自身パニック状態になってしまい、何を行ったかを経時的にと言われると困難です。当直医は患者様の処置に追われ身動きできません。岩島医師が日直から居られ指示されました。地震直後「とりあえず救急外来が対策本部」と言い残し被害状況を見に病棟に行かれました。

 救急外来の患者は増えてくる一方でした。遅くなってしまったがラウンドに行きました。

 
新館六階/ステーション内は上に乗っていたものが全て床に落ちて足の踏み場もない状態でした。六階の揺れがひどかったのか? ステーション前には、車椅子・ベッド(一つのベッドに二名)に患者様が乗り待機していました。

 
新館五階/ステーション近くに行くと廊下の接続部が地震で開きコンクリートがむき出しになっていました。「病院がつぶれる」。背筋が寒くなりました。ステーションには準夜看護師がおり全患者一階フロアーに避難したと報告あり。

 
新館四階/歩ける患者様は一階フロアーに避難。患者様の人数・残っている人数・外泊している人数確認。

 
新館三階/ステーション脇のプレールームに数名の患者様がいるほか一階フロアーに避難。

 
新館二階/全患者様一階フロアーに避難完了。
本館への階段をあがっている途中も余震があり恐怖でした。本館側の方が揺れがひどいと感じました。

 
本館六階/患者様は一階フロアーに避難。揺れている中で患者様の人数確認。建物の損害をチェック。ここも机上のものは床に落ち散乱していたがかたづけた後だった。

 
本館五階/揺れている中で看護師が配膳。揺れている中で患者様がご飯を食べている。どうして?? 歩ける患者様は一階フロアーに避難。後で分かったことですが、夕食前の血糖測定後インスリン注射を行った為、食事を食べていただいていたのです。

 
本館四階/ステーション前に液体酸素ボンベが準備され並べてありました。歩ける方は一階フロアーに避難していました。

 
本館三階/歩ける患者様は一階フロアーに避難。

 救急室に戻ると患者様はさらに増えていました。応援に駆けつけてくれた医師・看護師が大勢いました。カルテは机の上に何がなんだかわからない状態。最初は一人ひとりにカルテを返し医事課へと案内していたが来院状況をチェックするためにカルテをストックすることにしました。カルテの山・山・山。駆けつけてくれた人の中でカルテ整理をやってくれる人がいて有り難かった。

 駆けつけてくれた医師が大勢のため、時間帯を区切り分担を決めて対応することにしました。看護師も分担を決めたほうがいいのではと人数チェックを行う。

 フロアーに行くと入院患者様がありとあらゆるところに避難してきていました。フロアーに行き、対策本部が立ち上がり、富所医師・樋口師長が対応していたことがはじめてわかりました。各外来待合室、内科・小児科・整形外科の中、心電図室、リハビリ室は患者様であふれていました。入院が必要な方も病室に行く事が出来ないためリハビリ室へ搬送してもらい待機。救急外来も少し落ち着き、各外来・リハビリ室等を回ると、それぞれの所には看護師がいてくれました。

 看護師より「入院のため作業療法室で待機の方、朝までには吸引が必要と思われる」と申し出あり、内科外来の吸引器がある所に移動していただく。在宅で呼吸器使用している方が停電だからと来院され、小児科外来のベッドへ。入院が必要な方(圧迫骨折)が廊下のマットで一人でいるためマットごと心電図室へ、その後家族の確認。在宅酸素している方、酸素ボンベが空になる。業者に連絡し、新潟から来るため時間がかかると言われるが待っていただき酸素ボンベを持ち帰っていただく。

 途中から救急車での搬送・直接来院、来院した患者様のトリアージをしていただいたが、救急玄関・廊下・待合室・救急室とトリアージしても誰がどこにいて優先順位が先の人はどこにいるのかわからなくなりました。朝まで患者様が途切れることはなく、災害の時は整形外科(骨折)、脳外科(頭部外傷)等外傷の患者が多いと感じました。

 予想もしなかった突然の地震で何をすれば良いのか。先ず患者様を守らなければならない。多くの方が同じ気持ちで動いたから死亡者もなく、災害を乗り越えることが出来たと思います。

 年二回防災訓練を行っています。今回当院はライフラインに被害はありませんでした。断水・停電になった場合のことなど考え今後は災害時の訓練も行っていく必要があると思います。

希望を抱き続けて
 地震後、透析センターはどうかと電話を入れました。「地震のとき殷医師がセンターに居られたので医師の指示で返血・離脱の指示があり、患者様全員パストラル駐車場に避難しました。」

 透析センターは大丈夫、当直に専念しようと思いました。23時を過ぎてからだと思いますが、殷医師はじめスタッフが救急外来に駆けつけてくれました。

 透析センターが水浸しになったといわれ、最初は理解できませんでしたが、配管が損傷したとのこと。朝方透析センターに行き納得しました。患者様のスリッパが浮いており、水で中まで入っていけませんでした。

 24日午前10時、来れる人は集合!!

 当直を終え長靴(内科外来にあるものを借りた)を持って透析センターへ。器械・スタンド等倒れているものは何もありませんでした。とにかく水を汲み出さなければとバケツで何杯運んでもらったでしょうか。水を汲み出した後、協同公社の人に掃除を依頼。

 明日からの透析をどうするか。臨床工学技師からの差し入れ(お母さんが作ってくれたおにぎり・おでん・漬物)を食べながら医師・看護師・技師で相談しました。

 25・26日は三条・刈羽病院に透析を依頼することになりました。持参するものの準備・患者様の振り分け・患者様への連絡などにおわれました。私は18時頃体力・気力の限界となり帰宅させてもらいました。
next

外来受診者の詳細はこちらをクリック