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希望を抱き続けて
 本震から5日目の10月27日午前10時過ぎ、日勤だった私は患者さんの傍で清しきを始めようとしていました。突然震度五強の激しい揺れに襲われました。棚の物が落ち、ほこりが舞う中、部屋から出せない人は頻回に見守りに行き、他の患者は面会室にマットを敷いたり車椅子に乗せたりして集めることになりました。そのうちこの揺れで、ボイラー棟の煙突に亀裂が入り、倒壊の危険性が出たとのことで、3階病棟の患者を一階フロアに避難させることになりました。

 院内に緊迫感が走り、一階外来前の椅子が取り払われ、布団が敷きつめられました。騒然とした空気のなか、患者の安全を守るという思いで全職員で移動にあたりました。
 
 いつのまにか、院外からもボランティアの方々が手伝いに来て下さっていました。市の保健師さんや退職された職員の顔もみられました。ほとんどが寝たきりの方のため、担架に乗せて階段を降りるという移動でした。一階のフロアだけでなくリハビリ室や外来の椅子などに点在する患者の確認や、最低限の処置やオムツ交換をすませ、私たちがお昼を食べたのは15時30分頃でした。

 その後患者を他の病院に移送することになりました。移送するにあたり、患者情報の何を持っていくかなど検討し準備し、その日は、三条病院に7名、豊栄病院に20名を移送することになりました。豊栄病院には救急車14台を連ねての搬送となりました。栃尾市のみならず、市外や群馬県など隣県からも救急車が集結し、病院周囲は多数のライトで異様な光景でした。

 私と斉藤久美子看護師は、豊栄病院に同行することになり、私は最後尾の救急車にのりました。午後8時過ぎに出発し、9時半に豊栄病院に着きました。患者一人一人の申し送りを行い、その日は豊栄病院で仮眠。栃尾郷病院に戻ったのは翌朝10時でした。
栃尾郷病院(看護師)青木光子
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