希望を抱き続けて
希望を抱き続けて
 震災後、自宅療養者のお宅や避難所に安否確認に伺ってみると、車庫や車の中に寝ている方が何人もいました。ライフラインがすべて停止し、体を拭くお湯もなく、食べ物を軟らかく煮るガスもありません。清潔の保持や栄養補給が十分にできない状況となっていました。介護ベッドに箪笥が倒れたり、壁が落ちて一階が一部屋となってしまった家もありました。突然の震災で介護者の殆どは気が動転しているように感じました。私たちから見て自宅で介護を続けることができそうな家庭は少なかったです。介護環境の悪化から、介護レベルは低下しており、療養者と介護者双方の心身の健康を損ねることが懸念されました。

 私たち保健福祉部の安否確認の目的のひとつは、在宅療養・避難所での療養が可能かどうかを判断することでした。避難入所や入院の希望のあった方、医療面から判断してその必要があった方については、ケアマネージャーや社会福祉士が何箇所も電話をかけてひとりひとりの収容先を決めました。非常時であり、通常時であれば行けない遠方も施設の厚意で受け入れてもらえました。

 震災後一週間程は支援センターの電話は鳴り続け、在室者は対応に追われました。訪問に出たスタッフは経験した事のない悪路を運転し、市内を巡りました。

 私たちは直後は通常のケアはできませんでしたが精神面での看護はできたと思います。

 伺った先で「こんな時に来てくれてありがとう」という声をいただきました。待ってましたとばかりに訴えてくる療養者もいました。「魚沼病院の看護師さんだ。ばあちゃんを診てって」と駆け寄って来た方もありました。非常時でも、非常時こそ、地域で役立つ魚沼病院でなければと感じました。
 小千谷は地震のど真ん中。私たち自身も被災者であり、車中泊で、繰り返す余震に眠れず、入浴もできず、厳しい状況でした。この非常時に仕事を最優先しなければならない医療職の社会的役割の重大さを今回の震災で痛感しました。みんな使命感に支えられて動いていました。療養者や介護者から逆に励ましの言葉を頂いたり、スタッフ同士「がんばろって」と声をかけあって急場をしのぎました。
魚沼病院・保健福祉部(看護師) 谷口八重子

希望を抱き続けて
 当院では地震発生から5日目の10月28日から保健所の依頼があり、心のケア活動に参加しました。他県からのボランティアのナビゲーター役が第一の目的でした。被災者の家、避難所、保育所などを巡りました。12月21日に終結する間、合計16名の看護師が3から5グループに分かれて日々交代でその任にあたりました。

 心身ともに疲れ、何をする気にもなれず、ただ一日の終わるのを待っていると思われる人達をたくさん見てきました。しかし、そんな時も耳を傾けてあげることが精一杯で自分の無力さを感じました。でもある時住民の方から、病院の被害を心配して反対に声をかけていただいて、「アー自分たちも同じ被災者なんだ、気負わず弱い部分も出しあい、事実を共有しあうことが大切では・・」と思った時、心開けたケアに入っていけたように思います。

ナビゲーターの大切な役わりとして
 1.同じ被災者として現状を共有しながら傾聴し共感する。
  ( 必要時医師に報告を徹底)
 2.4日、7日でチームが交代するため確実な情報伝達  
 3.地域性、人柄、気質などチームに提供
 4.ナビゲーター役、方言の通訳  
 5.当院との連携      
以上、精一杯がんばってきた1ヵ月半でした。
                    中条第二病院 小野塚育子(看護師)
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