希望を抱き続けて
 
 10月23日(土)夜一瞬にして大惨事になった、25日栗山沢地区が道路が寸断され陸の孤島になっているとそこに住む看護師が出勤できず、「村人全員が避雄所に避難している。けがの治療もした」と連絡あり。病院は救外診療体制である。

 26日新大の樋浦医師(内科)から来院の連絡あり、「まず栗山沢へ行こう」と避難所での体調悪い人の状況を確認し、医事主任、私の3人で雨具、長靴で途中から山道歩き30分。避難所では主に高齢者の持病、血圧、心臓が心配。便秘、腰痛、など思いのほか気丈で元気にみえるが、反面、“今後の心配、眠られない”などの不安が強かった。

 29日新大の清水医師と私、坂井看護師の3人で半蔵金地区へ。地区の人達は「郷病院の人が来てくれた」「お前さんよく来てくれた」と寄ってくる人や喜びと待っていたという感じで迎えてくれた。ある1人暮らしの人は「オラ家も住めなくなった。これからどうすればいいんだか…」と云う人もいた。診療は無料。見るも無残な家、道路、田んぼ、震災の大きさを物語っている。

 現在、避難所は解散しているが、震災のひどかった地域へ1月から毎週火曜日午前中、医師、保健福祉センターの看護師3人、栄養士、歯科衛生士、理学療法士などで総合健康相談におじゃましている。1市1病院である。栃尾郷病院の担う役割は大きい。仮設住宅で住む人達も一日も早く住み慣れた地域に戻れることを願ってやみません。
栃尾郷病院 地域保健福祉センター 伊東ハナ子(看護師)


希望を抱き続けて
 10月28日面会に来ていた。震度5の余震で古い病院なのでどうなるか心配だった。「転院はしなくて大丈夫かも」との話で家に帰ったが、その後、転院しなければならないと連絡が入った。病院が危ないと言われれば転院も仕方ないと思った。三条に転院だったがそのまま栃尾に帰ってこられないのかと思い心配だった。今まで仕事帰りに面会できたが、三条に行ってからは休日しか行けなかった。寝たきり状態であり、体調を崩していたので心配だった。また、面会が減ったため、刺激もなかったのではないかと思いかわいそうであった。豊栄に行った人もいるため、まだ近くでよかったと思ったが、やはり近い方がよい。11月10日には栃尾に戻ることができ、思いの外、早く戻れたと思った。

震災までは仕事帰りにほぼ毎日、面会に来られていた。脳梗塞後遺症、肺炎を起こした患者家族(娘)より
取材 三本優子 栃尾郷病院(看護師)
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