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希望を抱き続けて
魚沼病院 副院長 村山信行
 中越大震災はこの地区に未曾有の大災害をもたらし、長期にわたる余震に脅かされ、追い討ちをかけるように襲った豪雪災害で人々の精神的経済的負担は増すばかりです。医療業務に携わる一人として、このような災害で、私共は何ができたか、そして何をなすべきかを検証する時期に来ていますので、経過を追いながら問題点を挙げます。

(1) 地震発生直後の対応


 三回もの震度六強の揺れで電気・水道・ガス・電話はすべて絶たれ、直後より被災者の治療にも混乱が予測されましたが、設備・什器の倒壊破損があったものの、建物の被害が殆どなかったこと、自家発電による照明が確保されたこと、備蓄水により水道と便所が使用できたことなど、皆が落ち着いて行動できる下地がありました。暗闇の中で明かりの灯る病院が患者さんにどれほど安堵感を与えたかは、いち早く周辺住民と外来患者さんの避難所になったことでも明らかです。職員も特別なことをした訳ではありませんが、各々の持ち場の責任を遂行できる環境があったことが幸いでした。安全対策として、病室ではベッド周辺の整理整頓が習慣付けられていたこと、偶然にも廊下の絵画を地震発生二週間前に何枚か降ろしたこと、ナースステーションの本箱に耐震ツッパリ棒が設置されていたことなど、日常の備えもいくつかありましたが、別項に示すように危機管理意識の欠如も少なからずありました。そして約三時間後には自宅の被害の少なかった職員が集まり、早くも復旧作業に入りました。検査室は簡単な血液検査を可能にし、給食厨房は備蓄食料を自家発電の電気と暖房ボイラー室の蒸気を用いて調理した食事を入院患者さんに提供、各科外来は救急室を整備して救急診療に当たり、分娩室では強い余震で天井に亀裂が走る中、この時間帯に女児が誕生しました。

(2) 緊急時の履物など


 職員、特に医師のサンダル履きは厳禁です。看護師も最近はスニーカーを使用するようになり、防災上大いに威力を発揮しました。勿論、女性職員のハイヒールなどは論外です。
 また、入院患者さんのスリッパは全国的に当たり前のようですが、現状のままで良いのでしょうか。防災上も治療においても見直す時期に来ていると思います。

(3) 診療機材の問題と危機管理意識の高揚に向けて

X線撮影装置と自動現像機の耐震対策が急務です。被災直後から自現機が振動で使用不能となり、被災四日目になって冨士フィルム(株)の国内唯一の移動レントゲン車の応援をいただきました。自家発電仕様でない機材は使用できませんので、病院を含めて要緊急機関は一般の電力供給とは別にして早期復旧ができるようにするべきと思います。

通信網の混乱が必至です。今回も病院の緊急連絡網は全く機能せず、特に電話は非被災地からの安否確認電話でパンク状態になりました。また公共電波は安否確認放送よりも被災地の状況に対応する方策を立てて欲しいものです。

各方面からの応援は私共を勇気付けてくれました。救急車の応援は、関東一円は勿論のこと、遠く秋田・大阪などからも来ていただきました。また、直ちに駆けつけていただいた佐久総合病院の医療チームの皆さんはじめ多くの医療スタッフの方々、厚生連労働組合ほか多数の団体の皆さん、「阪神」を経験されたボランティアの皆さん。挙げれば枚挙にいとまがありません。深い感謝と心からのお礼を申し上げます。

被災から数週間後に底知れない虚脱感が襲ってきました。職員は、家屋全壊六、半壊と一部損壊54と約30%が被災しました。心のケアは危機管理の極めて大切な分野を占めるようです。二週間にわたる不眠不休の作業を強いられた苦しい経験を今後に生かさなければなりませんが、心のケアに関してはいまだに解決の糸口さえ見つかっていません。

災害を克服する方策は?被災後2週間で来院した救急患者数は内科1428名、外科・整形外科1162名、その他596名です。内科は90%が高齢者で、慢性疾患の増悪、老人世帯や一人暮らしの方々の心身症が目立ちました。災害弱者である高齢者の救済対策は、それが極めて直接的に現われる医療現場で急務です。この災害の反省点として、広域的情報システムの活用や地域医療機関の連携の不備、地方自治体の危機管理対策の遅れなどが指摘されています。災害に強い病院を作るという命題のために今後に課せられた問題は山積していますが、今年の農村医学会で災害シンポジウムが開催されるそうですので、その方向が見出せるのではないかと期待は高まります。
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