新潟医療センター 副院長 古賀良生

 今、千年に一度といわれる災害の中、風向き一つで集荷停止になっている農家の方の表情を見て「そよ風」とはいえる状況ではありません。未會有の災害以前、世界で最も大きい政府債務を抱えながら将来に責任を持った打開策も提示ない停滞した世相から、つい「天罰」と言ってしまったご仁に老害も感じましたが、その意図はわからないわけでもありません。救援に命をかけている多くの医療人のいる中、多少の批判を覚悟して、この国の再生を願う気持ちから医療における天罰の意味を探ってみました。

 敗戦の廃虚から。世界一の長寿社会の実現には、国民皆保険の理念に象徴される我が国の保険制度が寄与したことは間違いありません。しかし、この制度は世界的に見ても稀有なる制度で、結果的に生まれた医療費の負担に対する利用者(患者さん)に、本来多額に及んでいる医療費についての認識が低いことの問題点を指摘されずにきました。 保険によって手術法、検査や薬の内容が変わること、高齢者の透析については我が国のような公費負担は問題とされて当然とされていることは知られていません。

 気がつけば、八百屋さんや魚屋さんなどは町内から消えましたが、開業医だけはまだ看板を多く見かけます。社会が広域化、集約化されている中、開業・病院勤務と分けてしまえる医師の勤務形態に変化はありません。タクシー代わりの救急車の急患対応に煩わされる当直翌日の通常外来担当など、問題視されながら何ら変化もありません。これらに共通する問題点として、医師の社会に対する提言は保険点数にかかわる問題が多く、結果的に医療の内容や体制についての社会的責任や発言力は縮小しました。地方医療の破綻を招いた研修医制度を例にとっても、医療現場と役所の考えに大きな離反があります。その中にいわいる御用学者なる集団を発生させたことも周知でした。

 時の政府に暴力装置と呼ばれた自衛隊員は献身的な整然と業務をこなし、全てを失った被災者の自制を持った行動は世界的にも評価されました。今、天罰とされた我が国の積年の問題を解決すべき機会とする覚悟が必要と考えています。30年草木は生えないと言われた広島は、その30年目には赤ヘル軍団の狂喜に沸きました、生まれ変わった日本人に、「そよ風」が明るく吹きかける時代が来ることを信じて復興を祈らざるをえません。