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救援・診療体制の確立へ |
この度の震災では、地震と津波による甚大な被害が報告され、厚生労働省と新潟県からの派遣要請に基づきDMATとして出動しました。私たちは計3回、宮城県仙台市仙台医療センター、岩手県宮古市、新潟県消防学校でそれぞれ1日〜3日間の活動を行いました。
私が行った岩手県の宮古市は沿岸部にある町で、地震後の津波でほぼ壊滅状態で死傷者が多数出ている状況でした。私たちは救護所を立ち上げ、避難所にいる方々の診療を行ってきました。避難所の近くには医院や薬局もなく、病院まで行く手段もない状況で、立ち上げてすぐに患者さんが多数診察に来ている状況でした。中でも多かったのが、内服薬を津波ですべて流されてしまったため処方して欲しいという相談でした。高齢者も多く、降圧剤や痛み止めのニーズがとても多かったことが印象的でした。震災のショックや集団生活という慣れない環境などによるストレスから不眠を訴える方も多くいました。
また、避難所にもこちらからおもむき、問診や血圧測定などを行ったり、衛生状態の確認・指導も行いました。
今回実際に被災地に入って感じたことは、救援・診療体制が早期に確立できなければ、助かった命もその後の合併症などで崩れてしまう。救える命・救わなくてはいけない命が失われてしまうと感じました。病院機能の安定とともに、災害現場である避難所や救護所の医療の充実も今後の課題であると思いました。 |
村上総合病院 看護師 榎本 豪 |
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福島県厚生連 |
3月11日に発生した東日本大震災では、隣県の同じ厚生連で交流の深かった福島県厚生連で六つある病院のうち二つの病院が大きな被害を受けました。
東京電力福島第一原子力発電所から3`の地点にある双葉町の双葉厚生病院では、放射能汚染の危険があり避難区域にあることから、入院患者138人と救急外来患者50人、職員全員が避難先へ避難しました。また、南相馬市にある鹿島厚生病院(原発から約33`)についても、物資の調達が困難な状況が続いていることから、診療の継続が困難になり入院患者68人、老健入所者45人を他の病院へ移送しました。
二つの病院では原発事故の影響で今だ再開の目途が立っておらず、自宅に帰れず避難所から通勤している職員もいて、みんな復興に向けて頑張っています。
そのような中、震災発生直後、福島厚生連労働組合から双葉厚生病院の職員への水や、食糧、下着、タオル、電池等の支援物資の要請が新潟厚生連労働組合にありました。これを受けて3月14日に労働組合では物資を届けてきました。また、労働組合では職場の仲間に支援カンパを呼び掛け、4月7日に義援金600万円を福島厚生連労働組合に届けました。
今後も支援を息長く続けていきたいと思います。 |
組合本部 書記次長 和田 祐輔 |
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地震発生、その時厚生連本部では、中越地震や中越沖地震で苦労した人たちが、まだ揺れが収まらない中、電話が通じるうちにと、出張者や各施設へ連絡して状況の調査をしました。
物資の支援は受入状況が整わないと、勝手に送っても現地に届かないと判断。JAグループでまとめ、何回かに分けて支援を実行。農協中央会を通じて必要な物資を把握し、何でも揃うJAグループ内で調達し、輸送もしています。
経管栄養セットの品番指定もあるという細かい要望もなんとか調達し、運送会社に特別に頼み込んで盛岡市内まで届けました。今後も、現地の状況に合わせて物資の支援を続ける予定です。
DMATが村上総合病院と佐渡総合病院から出動。複数回出動した職員もいます。
新潟県から後方支援の要請があり、隣接県の新潟県厚生連としては、避難されてくる患者さんの受入を優先することにしました。県からの要請に基づき、市町村とも連携しながら、各病院では患者さんを受け入れ、透析患者さんについても受け入れました。その後、県の医療班として災害拠点病院に医療支援の要請があり、宮城県などで支援を行っています。 |
厚生連・総合管理室 課長 鶴巻 洋之 |
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