7月16日午前10時13分ころ、震度6強の中越沖地震が発生。被災地内の拠点病院となった厚生連の刈羽郡総合病院はそのときどんな状況だったのか、遠くは広島県など全国から約40チームが出動した災害派遣医療チーム(DMAT)とは、被災後のストレス障害のケアを併せて掲載します。
ご出身は
 地震直後に小千谷の自宅から病院へ到着したところ、病院の外観は通常の状態。しかし、建物の周りは陥没し段差がいたるところでできていました。外来では緊急の対応をしていましたが、そこでは既に多くの患者さんが来院しており、非常に混乱した状態でした。多くの外傷患者さんが運ばれて来る中、電気・水道・ガスはとまり、非常電源(自家発電機)によるわずかな電気により受付業務を行い、日中でなければとても暗くて対処できない状況でした。次々と来る救急車と患者さんへの対応、電話が鳴り止まない状況でした。

 市よりの水道水が止まっている状況で、残っている水量では明日は透析ができなくなるので、既に夕方近くになっていましたが、近隣の他病院へ連絡をとり、透析患者さんの受け入れを要請。長岡などへ翌日は透析患者さんを移送することに決定しました。また、新潟県警へ緊急自動車による移送バスの先導をお願いしました。最終的に準備の完了ができたのが午後九時過ぎ。一方、院内では午後五時過ぎに電力会社の懸命な復旧作業により、当院には電気を先にまわしてもらい、電気は何とか確保できました。

 夕方近くになると県内外より、災害派遣医療チームが多数来院して活動していました。同時に、他県から多くの救急車が病院に集まって来ました。

 夜半過ぎに明日の診療体制を検討しましたが、医療器械の破損、建物内の後片付け作業などがあり、臨時休診とし、基本的に救急患者さんの対応だけとしました。またカルテ(診察記録簿)についても棚が倒壊していて、すぐに出せる状況ではありませんでした。

 他病院等からの人的支援、自衛隊・他市町村の自治体による給水支援、ほか様々な人たちの協力体制により、七月十八日から通常の外来診療を開始することがきました。ご協力いただいた皆様方には心より感謝し、御礼申し上げます。
 
刈羽郡総合病院 医事課長 阿部 一也

ご出身は
 DMAT(Disaster Medical Assistance Team=災害派遣医療チーム)とは、大地震や航空機・列車事故といった災害時に、被災地へ迅速に駆けつけ、災害現場や病院でトリアージ(傷病者を軽症・重症などに選別し、治療や搬送の優先順位を決める)、応急的治療、重症者を被災地外の病院へ搬送、時には家屋などの倒壊現場で瓦礫の下の医療をするなど災害の急性期(概ね48時間以内)に活動できる機動性を持ち、救急医療を行うための専門的な訓練を受けた医療チームです。

 平成十七年から厚生労働省に登録された医師、看護師、業務調整員で構成する一チーム五人のDMATが全国に約300チーム、新潟県では災害拠点病院に指定されている6病院にDMATが登録されています。その中で厚生連は昨年10月に村上総合病院、11月に佐渡総合病院の2チームが結成されました。

 派遣要請は、国(厚生労働省)から全国の各DMAT指定医療機関およびDMAT隊員の携帯電話にメールが入ってきます。中越沖地震のように震度6弱以上の地震が発生した場合は、被災状況にかかわらず国からの要請を待たずに自主的に待機、病院長の命令により出動することができます。

 中越沖地震が結成後初出動となった村上総合病院DMAT。隊長の林達彦医師(外科)をはじめ、小出章医師(脳外科・副院長)、稲葉由美子(看護師)、富樫由美(看護師)、佐藤一範(事務員)の医療チームが、岩船地域広域事務組合消防本部の協力のもと緊急車両二台に分乗し午前11時45分出動、午後2時2分刈羽郡総合病院に到着。

 救急外来で病院職員や県内外から駆けつけたDMATと連携し、中・重傷者の治療、トリアージタッグを使用し傷病者を長岡市内などへ搬送する優先順位を決めるトリアージや自衛隊ヘリで新潟市内へ重傷者の搬送などを担いました。その後、避難所となっている元気館へ移動し、医師会とDMATの医療班本部統括および救護所での治療を中心に、翌17日午後7時まで活動しました。
 村上総合病院 DMAT 佐藤 一範