高齢化社会の日本。現在、認知症の患者数は、180万とも、200万とも言われている。いつの日か多かれ少なかれ、その病と関わる可能性のある私達。どのように向き合っていったらよいのだろう。ここに一組の夫婦がいる。刈羽村の西村義矩さん、シゲさん夫妻だ。
NSTとは
 「何か変だなとは思っていたのです」。
 平成十三年頃、ご飯を食べたすぐ後に『俺、御飯食べたっけ?』と聞いたり、今、説明したことでもすぐ同じことを聞いてきたり、散歩に行くと出たのにすぐに帰ってきたり。ああ、これはおかしいなとそう思ったのです。しばらくして、かかりつけの医師に相談したら「アルツハイマー型認知症」と告げられました。
 「覚悟はしていたけれど、私はこの人とこの先何年付き合わんならんかと思ったのです。おばあさん(姑)も認知症があって十年近く介護しました。夫とも十年くらい付き合いをするってことは、私は九十歳近くになるなあって思って。いつかこの人もおばあさんのように私のことを『おまえはどこのもんだ!』とか言うんじゃないかって…」西村さんは、認知症を診断された夫との将来に大きな不安を感じたのだった。
NSTとは
 ある時、義矩さんが、尿管結石を発症し入院、手術をすることになった。「その入院から急に手の裏と表ほども変わってしまいました。チューブを抜いてしまったり、わからんこと言ったり。睡眠薬を使うと余計に悪くなって…目が離せなくなりました」。入院と手術をきっかけに認知症が進んでいったのだった。
 心配事で寂しげにしている私に友人達は『おじいさんのことは心配しなくて良いから(遊びに)出ておいで』って言ってくれたけど、もしその間におじいさんが、どこかへ行ってしまって大勢の方に探して下さい…なんて言う事になると皆さんに申し訳ない。息子は仕事で会社にいくのは当たり前。同じに私がおじいさんの面倒をみなければならないのは当たり前。これで人生は決まったようなものだなと思って寂しかったね。どこにも出られないし、どこも遊びにも行かれない。この人と一緒に騒がんならんと思いました」。
NSTとは
 これから先どうしようかと考えあぐねているある日、偶然、町から各戸に配られた広告が目に入った。そこにデイサービスのことが書かれていて、これだ!と思い、近所の福祉に詳しい人に相談したのが新しい道への第一歩だった。
 まもなく、施設の人が調査に来て、週一回のデイサービスを利用することになった。
 「最初は嫌がるかと思って心配しましたが、以前、会社勤めをしていたこともあって、すんなりと出かけていって、帰ってきて『あそこは良いとこだ』って喜んでいました」。
 義矩さんがデイサービスに行くと、その日は、シゲさんが受診に出かけたり、郵便局などの用を足しに時間を有効利用できた。大正琴の仲間も参加できる日を調整してくれたという。「そんな事で気晴らしをして気持ちが楽になった分、おじいさんといる時は、きちんと世話をしようって思えるようになったのです」。
 デイサービスに通うようになって数カ月が過ぎサービスを週二回に増やすことになり、西村さんの介護の負担はさらに緩和し義矩さんといる時も精神的な余裕ができた。しかし、認知症は確実に進行していき、施設の勧めもあり精神科を受診した。
 「紹介状を持っての病院受診でしたが、そこをとても嫌がって見たこともないような顔で怒ったのです。その後のデイサービスにはいつものように出かけていったのですが、次第に元気がなくなりました。」
NSTとは
 ある日、いつものように夕食を済ませコタツに入っていた時のこと。立ち上がろうとした私の手をしっかり握って『俺はお前からようしてもろてさ、これ以上の事は望まねえや。ああしてくれ、こうしてくれなんて事は望まないども、ああいう所に(精神科の病院)行く時はさ、どうしても行かんばならん時はさ、二、三日前から俺によくいって聞かせてくれいや』と言って私の顔をじっと見るのです。『うん、今度は聞かせるよ』と言うと安心したように『俺、良くしてもらっ
たから何も言うことはないし、これ以上は望まないけどな』と何度も言って『けど、俺一人を置いてこんでくれるな』と言うのです。
 翌朝から義矩さんは、食事や内服も拒否し、往診を勧めても断り、そのような状態が三日程続いた後、最期の時を自宅で迎えたのだった。
NSTとは
 「介護は楽しいことじゃありません。病気だし自分の夫ですから怒ることもできない。でも、こんな私がやり抜くことが出来たのは、たくさんの人に支え助けられたからなんですよ」。晴れやかな笑顔で語る。
 認知症。人が年をとり、死の恐怖から逃れるための神様からのプレゼントとも言われている。しかし、実際、そのそばにいる人は、患者以上に悩み苦しむ。現代病とも言えるこの病気。恥ずかしい事と家に閉じこもりがちになり、一人で抱え込むことも多い。切り抜けるには、まず、周囲の人に話すこと。人を救うのは人であることを知って欲しい。
 介護する人もされる人も、笑顔で過ごせる毎日であることを切に願う。
(本間、柳)