病棟は夕方の忙しい時間帯を迎えていた。看護師達が右へ左へと動きを慌ただしくしている。そこへナースステーションに近いある部屋の中から患者さんの呼ぶ声がする。「看護師さーん。椅子持ってきてくんない」。「もうじき姉ちゃん(娘)がくるんだ。仕事帰りに寄ってくれるはずだ」。「姉ちゃんは、俺がいつも家で豆やカボチャを煮て待っていると、大好きな刺身を買ってきてくれるんだ。今日もきっと仕事帰りに顔見に寄ってくれるはずだ。椅子がないと座れんよ。疲れて帰ってくるんだ。頼むよ。椅子持ってきてくんないや」。若い頃はどんな仕事をされていたのだろうか。武骨な大きな手。娘さんと二人暮らしだと聞いた。自宅の台所で一生懸命豆を煮ている姿が目に浮かぶ。急いで歩けない患者さんの代わりに、部屋の隅に置いてあった椅子を、ベッドに出来るだけ近づけて用意した。「ありがとね」。七十才。愛らしい天下一品の笑顔を頂いた。