体の異変に気付いたのは中越大地震から一年が経とうとしていた、昨年の10月のことでした。ようやく生活のリズムを取り戻してきた矢先の出来事でした。

 なんとなく胃が重く感じ、市販薬の胃薬を飲みました。薬で症状が治まるどころか喉に焼けるような違和感を感じたのです。

 すぐに近くの医院を受診し、胃カメラで検査をすることになりました。胃カメラで胃には異変は認められませんでした。胃カメラを抜き取る際、食道に異変が認められたのでした。

 「村山さん、紹介状を書くからすぐに病院にいって詳しく検査をしてもらいなさい」。医師の言葉に不安と焦りを感じつつ、魚沼病院の外科を訪れたのでした。
ご出身は
 検査の結果つけられた病名は「食道がん」でした。「それはショックだったさ。『ガーン』ときたよ。でもこうなったら、お医者さんに任せるしかないでしょ。覚悟ができたよ」。当時のことを村山さんはこう振り返ります。

 手術のため、長岡中央綜合病院に入院しました。医師からの詳しい説明を受け、手術に臨みました。
ご出身は
 7時間半に及ぶ手術は無事に終了しました。リンパ節にも癌はおよび、手術ではその全てを取り除くことはできませんでした。

 手術を終え、医師からは残った病巣に抗がん剤による化学療法を行うこと、再発の可能性がゼロではないことなどが告げられました。

 「再発の可能性があるとは思ってなかった。手術すれば治ると思って手術に臨んだからね。ショックだったよ」。
ご出身は
 3回の抗がん剤の投与には、想像を超える辛さが待っていました。ひどい吐き気と腹痛。頭髪も抜け落ちました。手術の時もそうでしたが、普段とれていた食事が思うようにとれないことが何よりも辛かったのです。そのうち食欲が回復し、口にするお粥がとても美味しく嬉しかったのでした。

 やがて化学療法が奏効し、病状が落ち着いた今、自宅近くの魚沼病院で月に一度、外来を受診しています。
ご出身は
 現在は、シルバー人材センターに登録し、月に十日ほど施設の夜警の仕事をしています。

 「体力は完全に戻ってないから、体を使うような仕事は無理だけど、これくらいはね。先生には『無理するな』と言われるけど、何もしないといろいろ悪いほうに考えちゃうものね」。

 今は症状もなく過ごしていますが、テレビで報道される同じ病気による俳優の訃報には不安を覚えたことも。

 「自分の体の中に(病巣が)残っているんじゃないかという不安はあるよ。でもしょうがないでしょ」。

 「酒も原因の一つだってな。病気になって身をもってわかることもあるんだよな」。以前大好きだったお酒も今はお休みして養生しています。

 (記事/山岸)