私は広島の出身です。自宅は原爆2`範囲で自宅の倒壊時に右膝を痛めましたが、九死に一生。 父は仕事先での動人学徒引率中殉職し、その遺骨を持って家族で父の郷里の島根へ貨物列車で向かう途中、山口県岩国の陸橋に差し掛かった時、私たち家族は進まぬ列車にいらだち、貨車から降り歩いて線路を超えていきました。そのおかげで岩国空襲、陸橋爆撃に幸いにも遭わずにすみ命拾いをいたしました。

 広島で定年退職を迎え、一人娘が新潟に嫁ぎ、孫かわいさもあり、平成3年新潟に家を構え、自治会役員として地域活動に汗を流して過ごしていました。

 翌年においしいお酒をつい飲みすぎて吐血したことがあり、豊栄病院にお世話になり始めました。

 平成19年に大腸がんが見つかり、内視鏡で二a大の一目でがんとわかる腫瘍を採ってもらいました。今のところ再発はありません。

 今、私が闘っているのは、昨年3月に発症した大動脈解離です。

 ある日の午後、突然背中の痛みに我慢できず病院を受診。診察して頂いた先生がCT室で見ているなり、造影剤使用による撮影との指示でつきっきりで検査を行った後「絶対動いては駄目です。当院には循環器科がないので大きな病院に転院しましょう」と新潟市民病院へ搬送する救急車に先生も同乗され、また顔見知りのベテラン看護師さんに「齋藤さん、元気で帰ってきてね」との言葉に、自分自身の重大な病状を悟りました。市民病院の廊下を運ばれている最中、天井の流れる蛍光灯を見ながら「これで終わりか…」と。

 しかし、ここでも市民病院の先生方のおかげで、手術することなく、病状が安定したため自宅療養となり、現在2カ月に一回豊栄病院で診察して頂いています。

 現在、塩分6cの食事作りと安静の中、やりたいことがたくさんある私にとって行動制限はかなりきつかったですが、3月で一年になり、市民病院診察の予定です。

 これからも好きなバイオリンを存分に奏でたいです。

 色々な死線をくぐってきましたが、その都度神業とも感じる診断と治療をしてくださった先生方に巡り合えて、本当に感謝しております。