私は広島の出身です。自宅は原爆2`範囲で自宅の倒壊時に右膝を痛めましたが、九死に一生。 父は仕事先での動人学徒引率中殉職し、その遺骨を持って家族で父の郷里の島根へ貨物列車で向かう途中、山口県岩国の陸橋に差し掛かった時、私たち家族は進まぬ列車にいらだち、貨車から降り歩いて線路を超えていきました。そのおかげで岩国空襲、陸橋爆撃に幸いにも遭わずにすみ命拾いをいたしました。
広島で定年退職を迎え、一人娘が新潟に嫁ぎ、孫かわいさもあり、平成3年新潟に家を構え、自治会役員として地域活動に汗を流して過ごしていました。
翌年においしいお酒をつい飲みすぎて吐血したことがあり、豊栄病院にお世話になり始めました。
平成19年に大腸がんが見つかり、内視鏡で二a大の一目でがんとわかる腫瘍を採ってもらいました。今のところ再発はありません。 |