平成4年9月のある日、勤務先へ着き尿意を催し鮮血の血尿を見て、青天の霹靂に驚き動揺を隠せませんでした。
2日間くらいその状態が続き、掛かりつけの医者へ行き、診察では腎がんか腎不全に関係した病気だと思うとの診断でした。早速、大学病院への紹介状を頂き通院となり、診断は「腎不全嚢(のう)胞腎」と言う病名を告げられました。
まず、食事の勉強を管理栄養士と一緒に研究し、透析前の食事と透析導入後の内容が異なる等の説明を受けましたが、実際には透析生活に入ってないので、自分の将来はどの様になるのか、腎不全生活経験が無いので五里霧中と言うのが偽りのない心境でした。
2週間に一度の通院。透析導入時期を見極めるために採血をし、血液中のデータを調べました。そして平成9年11月に静脈と動脈血管をシャント(血管結合手術)をし導入に至りました。
今まで透析療養の事は聞いていましたが、対岸の火事の様に思っていました。この先、病気と仕事と生活をどの様にバランスをとればよいのか筆舌に尽くし難い不安と心配の連続でした。
社会生活には自ずと公序良俗が必要ですが、腎不全にも遵守しなければならない幾つかの事柄があります。水分の管理、栄養の保持、カリウム・リンの摂取等、規則正しい生活が望まれます。
これまで申し述べて来た事は物理的な事ですが、一番重要と思われることに心・精神的な問題があります。
私の主治医であります大学病院第二内科の河邊先生から、「伊藤さん、貴方が透析と仕事とを両立させたい意志があるなら最大限の協力をしますよ。安心して下さい。他にも両立している人が多く居ます。病気に負けないで下さい」と、心の中の一番負担になっている悩みを払拭する助言を頂き悲観的な考えが一変、「人間いたるところに青山あり」との心境に成り河邊先生に感謝し立ち直ることができ、それは私の人生に掛け替えのない一言でした。
平成12年に帰省し晴耕雨読を楽しもうと思っていましたが、佐渡へ帰り現状を観るに、首都圏で学んで来た内容を、私を育んでくれた郷里のために役に立つ事があればお手伝いをと思い、私心、我田引水の無い素直、正直の提言と思い市行政改革観光協会のお手伝いをし、熱い血が通う打てば響く様な心意気を、次の世代を担う人達の育成と郷里の発展振興を念じ心豊かに生活をしています。
|