元来「お気楽モノ」の私が2008年5月下旬、体調を崩し受診、「すぐに治るだろう」と本気で思っていました(苦笑)。ところが一週間経っても症状は悪化する一方。気分の浮き沈みが激しくなる日々、心配で不安で恐怖でした。病気が厚生労働省の特定疾患、いわゆる「難病」ということを知らされました。この病気は、長期間の治療が必要で完治することはない現実、大変驚き、ショックでした。「なぜ、自分が」とそれを受け入れなければの思い。スッキリしない気分が続きました。

 「アレルギーが関与しているのではないか」とある本に書いてあり、「アレルギー体質=個性」と勝手に解釈し、体質は自分自身の個性。すなわち完治することは個性をなくしてしまうこと。体質と上手に付き合って行くことが大切と思うようにし、体のサインに素早く対応することを目標に「病気=体質」を認める努力しようと思いました。やっと前に進むことができました。その気持ちにさせてくれたのが当時高校生だった娘の目指す進路でした。彼女は資格を取得し看護師として働きたい、病気と向き合う人の手助けをしたいと私の発病が進路決定の要因になりました。支えて行くから、一緒に頑張ろうとうれしい言葉でした。

 約三カ月の療養後、職場復帰。楽しく働くため、職場には病気の事を伝えています。病気をある程度コントロールできるようになった私は ちょっとずつ頑張ること、長期間休むことのないように自分のペースを大切にすることで職場の仲間に迷惑をかけない努力を続ける毎日です。体調の悪い時は充電する時期と思い、ゆっくり休む。充電しながら今の自分ができることをできる範囲で探し病気だからと諦めるのではなく、まず「挑戦」してみる。健康な人とは異なった生き方を課せられますが、人生を完全燃焼させる可能性を秘めているはずです。楽しい事を見つけてはパワフルに生きたい。

 最後に、全幅の信頼を置ける主治医、闘病を支え合う仲間、友達、優しく見守ってくれる家族、感謝です。私は私で、これまでもこれからも自分のできることを自分らしくやって行きたいと思います。