私は戦時中、物品不足のため食糧配給となり、次第に栄養失調から死の手前まで弱りました。その経験から戦後、豊かになり、一生懸命食事を頂き、体重が標準の2倍も増加、哀れなことに糖尿病の診断が下り3年で25`減量いたしました。

 豊栄病院の先生のお世話になり、やっと生き長らえ感謝でございます。主人の介護などのストレスから、耳鳴り、難聴となりました。その後、脳梗塞の発症、両眼とも左側が見にくくなり視野の悪さから何回か転び、脊椎二カ所、首、腰がずれコルセットを使用。変形性膝関節症、外反母趾、年齢相応に次々と病が発生しました。

 私の病との付き合い方をお知らせいたします。どんな病気も良い点を見つけて感謝、常に笑顔、周りに迷惑を掛けないよう一生懸命いたし、思いやりを頂いた時は感謝を忘れてはいけません。人間は高齢になりますと動作が素早くできず、気遣いさえ、もたもたいたします。お世話になるばかりです。もう最敬礼のしっぱなしでございます。ユーモアに明るく、笑顔しかできません。優しくして頂きたいなら、自分もそれ以上にお返しせねばなりません。また、できる事を見つけて没頭。努力いたしますと、楽しい恵みが必ず戻って頂けますから感謝でございます。

 私が物事に熱中、没頭、できますのは、恩師斉藤博管理主事様のお陰です。先生が私に薦められた文章書き、エッセイ集の作成に集中できる事は、感謝に堪えません。完成の喜びがありがたいばかりでございます。どんな方でも、志あればできない事はございません。喜び希望は自然に涌き出てまいります。病も痛みも悲しみも心配すらどこかへ飛んでまいります。

 今年8月28日、豊栄病院患者会の村上方面への懇親会はとても有意義でございました。高齢者も病気を忘れ、皆様明るく優しく助け話し合い、感謝でございました。足湯に入ったり、瀬波病院の方達とも知り合い、おいしい料理を頂き、海を眺め楽しみ、帰りにはお土産を手に最高の一日を過ごせました。こんな良い思い出はございませんでした。元気で楽しくこれからも努力いたします。

 懇親会では病院の皆様は優しく、親切、行き届いた心遣いをなされ、私は赤子のように生まれ返ってお世話のされっぱなしでした。自動車の免許を取りませんでしたが、生まれ変わったなら免許を取って、日本全国を回りたいと思い、高速道路をキョロキョロ楽しく観察いたしました。