私が病気になったのは、高校を卒業して、陸上自衛隊に入隊し、4年目になったころだと思います。 原因は家を新築したと同時に、父が仕事を失い、すべてのことを自分で抱え込んでしまったことです。私も仕事を辞め、引きこもりになりました。部屋をダンボールで暗くし、幻聴がひどかったので、壁をボコボコにしたこともありました。
1年ぐらい引きこもった後、中条第二病院に入院しました。退院後は、福祉ホーム「リンクinひだまり」に入所しました。私が変わったのは、この時なのです。ひだまりで、規則正しい生活をして当番もやり、かけがえのない友達もできました。
また、2カ月後には、「ワークセンターあんしん」で働くようにもなりました。あんしんで学んだことは、「仕事はお金のためだけではないこと。頑張れば、見ている人は評価してくれること。そして、仕事とはどういうものなのか」ということです。風邪で休んだ日以外は、無欠勤で一年弱働きました。
その結果、つまりの里デイサービスで、ボランティアを4カ月させていただき、その後にステップアップ雇用を一年間経て、今年の六月から正式にパート介護員になりました。なぜ介護の仕事を選んだかというと、母が45歳で他界して、その後は祖母が母親代わりになって、頑張ってくれたからです。しかし、その祖母も他界しました。私は、恩返しのつもりで、一生やるしかないと決め、この道を選びました。
デイサービスの仕事は、私より人生経験が豊富な方々を相手にする仕事ですし、より楽しく充実した一日を過ごしていただく仕事なので、毎日がはっきり言って大変です。ましてや、障害者といっても、現場に立ってみれば特別な扱いをしてもらえるわけではないので、うれしいと同時に、負担にもなります。しかし、毎日「ありがとう」の利用者さんからの言葉に励まされ、私は休まず働けています。
私のモットーは「今を生きる」で、「今を大切にしなければ未来はないのでは…」と思いながら、日々、良いことも悪いこともリセットして、新鮮な気持ちで取り組むようにしています。また、「我慢と辛抱」の違いに気をつけています。我慢はしてはいけないけれど、辛抱はしなければいけない。障害者だからといって、甘えるのではなく、自分に厳しくすることも必要と感じています。
私の夢は、パートではなく正規の介護員になることなので、これからももっと勉強しなければならないと思っています。
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