「老人は入院すると必ずオムツを当てられる」と老人会で話題になっていた。今年3月、中央病院で首の手術をした時「これか」と覚悟して使った。使ってみると都合がよかった。
中央病院を退院して車いす生活だ。老健とちおに来たら、ちょっと勝手が違った。しびんを自分で扱ってみるよう言われた。工夫してもらったら、できるようになった。
大便も朝飯を終えて部屋に帰る前にトイレに座ると、朝のしきたりで決まりよく出るようになった。手術後のひどい便秘が良くなった。気持ちがいいものだ。
|
|
63歳の時、事故で両膝と右腕をけがした。身体障害二級となった。栃尾の街中での身障者の交流会にはよく遊びに行った。俳句や演歌を楽しんだ。田んぼはやめていたが、家内と二人で畑をしていたし、子供ができなかった分、仲が良かったぞ。村の人も何かと顔を出してくれる。
|
|
家内は中越地震の次の年に亡くなった。地震の後は「ひとりになったらどうしよう」と、ひどく気落ちしていた。毎月1回家内と2人で町の医者に通っていたが、ちょうど1年過ぎた秋の朝に、家内が言ったんだ。「オレ、へナっぽい。医者を呼んでくれ」と。
往診を頼んで、もうすぐ来ると聞いた家内は、支度すると言って便所に行った。ちょうど先生が着いて、「今、便所に行っているから」と一服してもらったが、あんまり遅いので見に行ったら、腰かけたままこと切れていた。すごく決まりがいい死に方だった。
先生と2人で毛布に乗せて床に運んだ。先生がさ、「苦しまないで死んだから笑顔だよ」と。本当にそう思えた。
|
|
それからの独身生活。なんてことない所で転ぶようになり、去年の六月、背中をやけどした。いつもの診察日まで1週間。家で湯花を入れた風呂に入り、何回も新しいシャツに着替えていた。医者に行った時は驚かれて、すぐ中央病院に行けと紹介状を持たされて20日間入院してきた。植皮しないで済んだのは、湯花の風呂に入っていたからだと思っている。
今年の正月ころ、手足のシビレがひどくなり動けなくなった。運良く本家の人が雪舞いに来て見つけてくれた。中央病院で検査受けて「頸椎症性脊髄症」と「腰部脊柱狭窄症」と診断。まずは首の骨の手術をした。手に力が入るようになった。だが歩けない。腰の手術をして歩けるかは5分5分といわれた。迷ったが、決めた。腰の手術を受ける! この5月の末だ。闘うぞ!(談)
|
|
|
|
|