私の持病は難病のパーキンソン病です。幸いにも診断は定年退職後でした。子育ても仕事も卒業し、第2の職に新たな情熱をもって歩み出し、自分なりの人生デザインを描いていた時でした。
専門医のF先生に、「生活上の制限は何もなく仕事を続けていいこと」「将来の役に立つからラジオ体操を続けること」「水分を十分とること」「病気の原因についてはまだ分かっていない」等を告げられました。
寝たきりになってしまうのは真っ平ご免と思いながら、2人の子供が背負うであろう悲運を心の深くで嘆きました。
30代の若さでなくなった夫は、当時病床で、「病むとはどういうことか」「生きていくことの意義」「子供への責任と夢」等々私に語りかけ、生きることへの望みを持ち続け、私を信じ励ましてくれました。今日の私にはこの大切な思い出が土台にあります。
年月を経て子供は各々の道に進み一人暮らしの時が来て、いただいた病は穏やかに進行していました。身辺整理は思うようにできていませんが、自分の足で歩けるうちにやり残した事や、やりたい事をしたいと思いました。
友人と万里の長城を歩いて来たことや、妹とアイガーの雪原に立てた喜び、昇る朝日に刻々と染まっていくマッターホルンの神々しさに感激し言葉もなく、両の足を交互に運んで逆さマッターホルンの写る水辺まで行けたのは夢のようでした。
縁あって身の丈以上の幾つかの旅を楽しみましたが、体力に限界を感じ、最後に南のガタルカナル島行きを決心しました。
全国から集まる小さなグループに加えられ、主治医の後押しがあって、ガ島の土を踏みしめ、父の墓前に額突いたのは終戦60年目のことです。
美しすぎる渚に寄せる穏やかな波の音を心に刻んできました。
その後、2度の骨折等で入退院を繰り返しました。信頼し尊敬する主治医の薬の調整とリハビリの指示により、ずいぶん助けられました。
現在、一人暮らしは難しくなり、介護付有料老人ホームに入居し、親身で丁寧なケアを受け、人生の先達に学ぶ事も多い毎日です。服薬、リハビリ、読書と、趣味のピアノをロビーで楽しみ、感謝の日々を送っています。
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