片腕だけで何でもやっています。できないことは、お風呂で背中にタオルを通してこすることくらいです。
村一番の養蚕を営む農家に嫁ぎ、昭和33年長男が一歳のころ、左脇の下にピンポン玉くらいのグニャグニャしたものが触れました。痛みはないけど、看護師の従姉ががんを心配して病院を勧め、周囲のリンパ腺も一緒に摘出となりました。結果は良性の線種でした。
昭和36年2月に長女を出産。夏の農作業で左肩は腫れ上がり熱が出て腕も上がらなくなりました。がんを疑われコバルト照射治療のため、長岡中央病院に入院しました。乳飲み子の長女も一緒に連れて入院です。
照射治療は疲れます。そんな折、病院に新聞配達しているご夫婦が私ら母子を見かねて、日中長女を預かってくれるようになりました。本当にありがたかったです。退院すれば、農家の仕事と冬の工場勤めと働きました。
左腕をもぐことになった切っ掛けは平成4年のことです。咳をしたら血が出るので、胃カメラで検査しました。胃が釣り上がって変形しており、胃を切除しました。昔のコバルト照射で胃がろっ骨に癒着していたためでした。その後、コバルト照射痕のかゆみが止まらず膿が出て治りません。悪化して皮膚科から形成外科に行きましたが、手に負えないと新大に紹介されました。
翌年正月明けに入院。多数の菌が巣食っているのを減らす治療が始まり、膿が出る穴から石のように硬くなっている筋肉の塊が取り出されます。見える骨が邪魔とのことで肩甲骨も取らねばならないことになりました。
主治医は「腕をつけたままでは帰れない。菌が身体中に回って死ぬ」と淡々と言います。首の付け根から肩、腕とごっそり取る手術ですから心臓外科、血管外科、形成外科とたくさんの専門医が関わる手術でした。
3月末に手術。翌日の麻酔が切れていないもうろうとした意識の中で、若い先生の声が聞こえました。「あなたは運がよかった。あなたの先生はこの手術ができる第一人者ですが、今日から埼玉に転勤されました。ぎりぎりであなたは手術に間に合ったのですよ」と。
その後、台所仕事も農作業も何でもしています。何があっても「カラ元気」を出して進んできました。今は九十七歳の姑の介護もしています。
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