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今から7年前の2月の日曜日に、胃がんと横行結腸がんを緊急手術した。麻酔担当の先生が手術の「説明と同意」が話されたが、私にはまるで絵空事のようにしか思えなかった。以来、58日間の入院治療となった。
手術後、一週間ほどたった朝の主治医の回診。「鈴木さん、夕食から重湯を出しましょう」と。待ちに待った時がやっときた。口から物を食べられる、ベッド上で欣喜雀躍(きんきじゃくやく)、食べて一生懸命治すことに専念するぞと思った。
午後6時過ぎ、やっと私の部屋(個室)の前で配膳車が止まり、食事トレイが台の上に置かれた。起き上がり重湯の入った食器のふたを取る。あの香りが鼻をくすぐる。ゆっくりと口に運ぶ。在職中(豊栄病院で25年間勤務)は私も調理師であった。患者さんが「病院のお粥は美味しい」とよく耳にしていたが、本当にうまい。夜はいつもよりぐっすり眠れた。
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翌日も定刻に回診。腹の様子を見た主治医は即座に言った。「鈴木さん、残念ですが、昼食から禁食にしますよ。水分はよいでしょう。常温でね」―なぜ、なぜですか?先生に問う言葉を失ってしまった。一週間目に食べては禁食。また一週間たって検査後、禁食。すっかり意気消沈した。そのうちに酸素マスクまで装着させられた。看護師さんに聞く気も失ってしまった。
その頃から急に震えがきて寒くなる。それが過ぎると体温が急上昇、股や両腕の脇に冷たい物を当てられる。「鈴木さん、頑張ってね。私たちも一生懸命頑張って看病するからね」と言ってくれた某看護師長さんや三交代で勤務が代わる看護師さんの優しい言葉はすっかりなえた心に、天使の言葉のように聞こえて布団を被り幾度涙を流したことか。
治療・看護のお陰で4月半ばに退院の許可、小躍りをする。病院近くの桜は散り、雀隠れの若葉が茂り頬をなでていく風も爽やかに吹いていた。
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退院後は経験を生かして食事は自分で調理し食べた。それが幸いしてか洗濯と掃除は妻が、三度の食事は私が担当することになった。冷蔵庫の中を見ては二人分のささやかな食事を作る。夕食は暇つぶしも兼ねて。
平成16年3月18日、木曜日は定期受診日。主治医はカルテを見ながら「鈴木さん、肝臓の五カ所にがんが転移していますね。治療はいろいろありますが、投薬でやってみましょう」―診察室を出ると膝がワナワナと震えた。 あれから4年、一日一日を過ごせたことに感謝し、老妻と暮らしている。
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