その日は突然やってきました。それは41年前の12月暮れも押し迫ったある日のことです。左肩の間接に痛みが走り、腕が上がらなくなってしまいました。その頃私は勤め始めて丁度一年八カ月になった頃です。私は友人と勤めが終わると洋裁教室に通っておりましたので、その疲れがでてきたのかな、位にしか思っていませんでした。
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肩が治りしばらくすると、今度は右手首に痛みが走りご飯も食べることすらできなくなってしまいました。「変だな…もしかして私もリウマチ」と思うようになりました。母方の祖父・母・姉の三人がリウマチであったからです。だから私はリウマチについてはすんなり受け止めることができました。
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それから前半の20年位はあっちこっちと痛くなり、一番ひどいときは十日位も寝たきり状態になりましたが、母や姉の状態を見たり聞いたりしていたので、あまりめげることもなく時が過ぎていったように思います。後半は痛いときもありましたが、前半に比べたら薬の開発が進んだお蔭で安定した日々を過ごしてこれたと思います。 |
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18年の4月、姫川病院の整形外科がなくなり、私は高桑先生のリウマチ外来に通い始めました。私の顔を見るなり先生は「こんなに悪くなった膝は見たことない」。すぐに手術を進められました。盲腸以外は手術したことのないのにどうしたらいいのか私は「心の整理がつかないのでしばらく考えさせてください」と先生にお願いし、前向きに手術のことについて考えることにしました。
まず家族に手術のことを説明して納得してもらうために、石川県小松市で外科を開業している友人のところに相談しに行って来ました。レントゲンを見て友人はこの状態なら手術したほうがいいのではないか、その一言で私も主人も決心することができました。
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昨年の2月と3月に両膝の人工関節の手術をうけ80日間の入院生活を送りました。入院中は家族に負担をかけ、そして私も術後の痛みやリハビリに耐えながら看護師さん達のやさしさにふれ、また、友達もでき、今振り返れば楽しい入院生活ではなかったかなと思っています。今、膝は勿論のこと足首や股関節の痛みもなく喜んでおります。
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長い間この病気と向き合えたのは、一つには家族の理解、そしてくよくよせず前向きにきたことと、そして大好きな花のお陰と思っております。私はセントポーリアと洋蘭を育てています。花は手を掛ければかけただけちゃんとこたえてくれます。今年初めて胡蝶蘭とセロジネが咲いてくれました。花に癒され家族に見守られながら生活する上での制限は多少ありますが、これからもこの病気を前向きに考えて上手に付き合っていきたいと思っています。
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