幼児の笑顔が好きだった私は、幼児保育の職業を選び、保育園に26年間勤務、その間に24歳で結婚をし、2人の男の子にも恵まれ、共働きをして来ました。
昭和54年11月、突然義母が脳内出血で寝たきりとなり、私は退職し7年間余りの介護生活の中から、老いていく道標を学び受けました。
昭和62年、介護生活から開放された時には、ただただ寂しいという日々を過ごした事が、回想されます。
ようやく、以前の元気を取り戻し、レクダンス、コーラスの会に、またカラオケの友達からも誘われ、楽しい日々が続いて居りました。
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楽しい日々を過ごしていたのに、咳が頻繁に出るようになり、ある病院の内科で受診、検査の結果「気管支喘息(ぜんそく)」と診断されました。「発作が出た時は、直ぐ来院して下さい」と医師に告げられ、愕然とし、今まであんなに元気だったのに、と不安が交錯しました。その後発作を発症し、病院へ行く度に医師から「のどを切開手術した方が」と言われ、とっても怖くなり、近くの開業医院に転院する決心をしました。
還暦を迎えてからは、メニエル病、過呼吸症候群、両眼白内障の手術、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、婦人科の手術、それに不慮の事故による右足首骨折などを患いましたが、元来歌う事が好きだったのと、日々お祈りし、夫からも心を支えてもらい、実父も、もう少し辛抱すれば元気になれるからと励ましてくれました。
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朝から頭痛がして、メニエル病を患った時によく似た症状だったと思います。
7年間通院して来た医師から「心不全、不整脈が出ていますので、上越総合病院循環器科の篭島医師に心臓の検査を受診して下さい」と紹介状を手渡され、検査をしてその結果「心臓には異常ありませんので安心して下さい」と話され、その時のうれしかった事は忘れられません。そして、篭島先生から、「平成17年4月より上越総合病院院長に内科呼吸器で喘息専門の外山譲二医師が赴任されましたので、明日必ず来院して下さい」と話されました。
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翌日、夫とともに外山先生と出会い、紹介状に目を通され「早くラクにしてあげますよ」と優しい眼差しで話され、うれしくて感謝・感動しました。それ以来、主治医として信頼し、治療・指導していただいています。
外山先生は、物静かで品格があり、患者の心身を優しい目線で病状を尋ねられ、瞬時に心理や病気の症状を把握され、親身になって話を聴き、上手に心のケアもされ信頼出来る先生です。
私の気管支喘息は季節の変わり時、シベリアから寒気が日本海に来た時に、身体がビリビリしびれて、頭痛・咳・痰が出るという気象性の気管支喘息だそうです。常日頃、「気象情報を聞き、発作が出たらプレドニンゾロン錠を服用し、直ぐに来院下さい」と指導していただいています。
気管支喘息を発症後、もっと早く外山先生に出会う事ができたならば、前記のような苦しみで、悩まなくてもよかったのではと思っています。外山先生、これからもご指導をよろしくお願い致します。
残された人生を、笑顔で、日々感謝しながら、明るく健やかに生きたいと願うばかりです。
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