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慢性関節リウマチとの付き合いは、ざっと四十三年にもなろうとしています。思い起こせば二十歳くらいの時、当時飼っていた愛犬の散歩中に転倒してしまい左膝がぱっくり裂けてしまいました。十八針も縫う大怪我でした。それから数カ月後、ふと足の裏に痛みを感じるようになりました。先生から「リウマチ」と診断され、予想もしなかっただけにショックは計り知れないものでした。
膝にも水がたまるようになり通院の日々を過ごしました。股関節の辺りに水がたまりだし手術しなければ死んでしまう、その代わり手術をしたら車椅子の生活になる…さすがの私もその時ばかりは「もうダメだ。動けなくなるなんて…」という思いで目の前が真っ暗になってしまいました。いつもは明るく何でも笑い飛ばしてきたつもりだったのに。
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塞ぎ込んでばかりの日々が続いたある日のこと、瀬波リウマチセンターに行ってみないかと当時の先生より紹介されました。その時、私は「動けるようになりたい!やっぱり治したい!」と強く思い、遠い瀬波の地に行く決心をしました。約半年間の入院生活を送ってきました。その後は、在宅を中心にデイサービス、ショートステイなどを利用しながらの生活を送りました。
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こんな境遇の中で、何よりの支えとなっていたものは、やはり「家族」でした。実家は八百屋を営んでおり、一家全員で力を合わせて働いていました。両親と兄夫婦とその子供たちとの生活は、私が病気になってからも変わることはありませんでした。
私としては、皆に迷惑や心配をかけないように、自分でできる限りのことはやってきました。兄夫婦が吉田の方で中卸をしていたため、店番や家事全般はもっぱら私の仕事でした。休みなんかは、大好きだった時代劇を観に東映まで通いました。昔からいたずら好きな性格もあり、弁当作りを任された時、海苔を切ってご飯の上に様々な字を書いたりして、驚かせたりもしました。反応は皆さんのご想像におまかせします(笑)。
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そんな家族がいてくれたからこそ、私は前向きに、明るく笑顔で毎日を送ることができています。そして何より私を受け入れてくれることに、ありがたいという感謝の気持ち、これからもよろしくお願いしますと伝えたいです。病気になんて負けていられない! 私を励まし勇気付けてくれたみんなに恩返しするならば、持ち前の明るさと、元気パワーでこれからも前向きに生きて行きたいと思っています。
現在は、三条総合病院に入院させてもらっています。車椅子の生活ですが、乗り降り以外は自分でなんでもしています。入院生活はいろいろな面で大変ではありますが、私の入院している三階病棟では、優しい看護師さんや元気のいい介護員さんたちが本当に一生懸命働いてくださっています。本当によくしていただいて感謝しています。
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(取材/渡辺) |
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