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旧栃尾の一之貝は、山あい重なり、谷や沢、池が多い。段々田んぼが小振りながらもあちこちで美しい景観を作っている。
栃尾は伝承の土地柄。長尾影虎、静御前、そして茨木童子。平安時代に「鬼」として都で恐れられ殺された茨木童子は、ここで生まれ育った。農民を搾取し続け、殺していく非道な権力者・貴族に対する怒りが茨木童子には強かったのだ。
だから栃尾では、茨木童子を美丈夫で力持ち、頭の良い超人として語り継がれている。この地は世間に迎合しない反骨精神があるのかもしれない。
水がきれいなので美味しい米ができる。稲作の手間が取れない家の田んぼを含め、二町歩の田んぼに関わるが、毎日農業をしたかったので、錦鯉をはじめた。仲間も増え、一之貝の農業を創る夢は広がった。
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そんな平成十一年、胃がん初期の診断。手術までの一カ月待つうちにがんは中期になっていた。主治医の先生は「九九%大丈夫!」と言ってくれた。定期健診は欠かさず通った。五年を超えて「完治したぞ! がんにバイバイした!」心の底からうれしさがこみ上げた。
平成十九年二月の定期健診の時、胃の辺りがジクジクしていた。検査したら肝臓に薄い影があるという。そういえば右大腿骨と尾骨が痛い事がある。念のため骨密度検査をしたら、転移性骨がんと言われた。無限大に思われた夢は潰れた。これ以上何もできない身体になっていた。
「嘘であってほしい…。仕方ない。受け入れよう」自分で一から十まで考えて納得した。だからくよくよしても仕方ない。覚悟ははじめからしていたではないか。胃の手術後は一年かけて錦鯉の後始末をした。百万円で作った池も取り壊した。家を継いだ次男も彼なりに専業農家を受け継いで闘っている。今の時代に合った農業を模索している。うれしいではないか。
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ところで、がんの痛みは嫌な気持ちのする痛みだ。この痛みは「なったものにしか分からない」と言ってくれた主治医の先生。俺はこの言葉にとても救われた。勇気をもらった。頑張ろうと思った。郷病院に入院する前、一カ月は点滴に通った。冬は通院が大変だからどうしたものかと相談して、入院となった。痛みをやり過ごすため、向き変えを看護師さんに頼んでいる。たびたびで心苦しいが、助かる。
時々考える。不治の病「がん」が治るにはどうすればいいのだろう。不治となれば自暴自棄になりそうだ。だが、そんなのは嫌だ!「最後は自分がどうか」ということだ。
今、孫三人を含む良き家族に支えられて、できるだけ明るく生き抜いていくつもりだ。
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(取材/佐野) |
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