ご出身は
 6年前の9月15日。この日は敬老の日ということもあり、孫たちが稲刈り後のはさ掛けの手伝いに来てくれる予定になっていました。前日に稲刈りを済ませ、「手伝いに来てくれる子や孫にあまり苦労をさせたくない」との思いで、まだ夜も明けきらない田んぼへ一人で出かけていきました。
 はさ木の二段目まで順調に作業は進み、はしごを掛け三段目に稲を掛け始めました。一人での作業だったので、稲を抱えはしごを上り、稲を掛けるという作業を繰り返していました。朝露で濡れていたはさ木に足を掛け作業をしていたら、足を滑らせ、稲を抱えたまま仰向けで下まで落ちてしまいました。手足を動かそうとしても全く動かず、すぐに脊椎(せきつい)をやられたと思いました。

ご出身は
 道路の近くで車もたくさん通ったけれど、稲の陰になり私の姿は見えなかったと思います。仰向けの状態で下から稲を見上げていると、すごくきれいで、この歳まで好きな農業を続けられて満足だという気持ちだけで、悲しいとか落胆する気持ちには全くなりませんでした。

 なかなか家に戻らない私を心配して近所の人が探しに来てくれて、刈羽郡総合病院に運ばれたのは、転落してから二時間は経っていました。

 気を利かせてやったつもりが、かえってひどい事になってしまいました。

ご出身は
入院して一カ月は首が動かせなかったので、リハビリはその後から始まりました。

 医師から「痰が絡むと息が出来なくなる恐れがあるから、風邪をひかないように」と注意されました。またリハビリでは呼吸が浅くならないように腹式呼吸の訓練をしました。少なくてもご飯だけは自分で食べられるようになりたいと思い、利き手の右手だけでも動かせるようにと腕を動かす訓練をしましたが、医師からは「脊椎損傷をした場合は体を動かす神経が切れたわけだから、動かせるようになるのは難しい」と言われました。

 足がひどくしびれて、座薬を使わないと夜も眠れない日が続きました。それでも足のリハビリを続けました。

ご出身は
 退院した当初は自宅で訪問入浴サービスを利用していましたが、訪問入浴だと車椅子に乗る機会が少なく、身体を動かす機会が減ってしまうと考え、デイサービスやショートステイ(介護施設の短期入所サービス)を利用することにしました。

 さらに毎朝、首・腰・肩の上げ下げを各千回ずつしています。それから、腕が伸びなくなると服を着せてもらうのが大変なので、腕の曲げ伸ばしも日課になっています。

 施設では、バスで出かけたりいろんなイベントがありますが、私が先頭に立って参加したり、時には出かける先を提案したりしています。誰かが先頭に立って行動したら、他の人が後に続き易くなりますから。

 施設の職員にあいさつをきちんとするように注意したこともありました。口うるさいと思われたかも知れませんが、あいさつは一言だけで気持ちを明るくすることができます。皆さんが笑顔で暮らせるためなら何でもしますよ。笑顔でいられることが何よりも幸せじゃないですか。

 怪我をしたからこそ出会えた人たちもいるから、この障害を悲しいとは思っていません。明るく生きるということでは、誰にも負けませんよ。

(取材/本間)