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私は小さい頃から機械いじりが好きで、働くようになってからは、家電や農機具の販売や修理の仕事をしながら、夜は近くのホテルで夜勤の仕事も元気で働いていた。
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ところが十年前、市の健診で精密検査を受けるように言われ、けいなん総合病院に行き検査を受けたところ、腎臓機能が低下しているため、透析が必要になると説明を聞きびっくり。
その頃、仕事もたくさんしていたので、先生に透析の方は、もう少し待ってほしいとお願いして、薬で体を維持していたんだが、何カ月か通院しているうちに、いつ透析に入ってもいいようにとシャントを作ったんだよ。
その後、状態の変化もなく薬だけは飲んでいた。
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検査の結果、もうこれ以上、待てないからと平成16年12月から、透析を開始しました。「冬は雪道なので車の運転は禁止だよ」と言われ、親類の人を頼んで病院まで20`の雪道を送迎してもらったんだよ。風雪の日や雪崩等で途中まで来たのに、家に帰れず、自分が倉庫として使っている所に何回も泊まったこともあった。
透析前は、本当に不規則な毎日で家から8`の村に修理に行き、帰りにまた修理を頼まれ、毎日暗くなるまで仕事をしていたから、家に帰る時、前を良く見て運転しているのに、川に落ちそうなったこともあったんだよ。
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以前、町に近い家に修理に行った時、夕方まだ明るいのに、浴衣着で縁側に座って新聞紙を広げているのさ見て、いつかこんな生活さしてみたいなぁと思ったもんさ。
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透析後は、生活リズムを変えたり、三食きちんと食べるようになり、妻もバランスの摂れた食事を作ってくれるので有りがたいよ。もう重労働はやめようと、田んぼは全部やめて畑だけ少し作っています。今まで出席できなかった老人クラブや地域の行事にも参加できるようになり嬉しいよ。
私の住んでいる地区に樽本温泉があり、そこで皆んなが集まって、体操や手品、ゲームをしたり、お昼を食べたり、話をしたりと楽しむ会(お茶なんこ)で一日ゆっくりと過ごしている。地区の車で家まで送迎してくれるので有りがたいよ。今までは、仕事、仕事の生活だったが、これからは病気と向き合い、あせらず活動していきたい。
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民生委員も53歳ころから12年間したので市から表彰もうけたし、病気になって透析を始めた頃はせつなかったけど、今は昔見た縁側の生活ができることと、妻が支えてくれたことに感謝しているよ。
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※シャント
動脈と静脈の血管を結合させ、静脈にたくさんの血液が流れるように手術で直接つなぎあわせたもの。 |
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