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職場の健康診断で尿蛋白が出ているので、精密検査をしたところ異常なしでした。しかし、その後も2、3回精密検査を受け、平成6年、佐渡総合病院で「腎臓の機能が低下している。近い将来、透析ですよ」と言われました。薬を飲み、時々診察を受けました。しばらくして、血圧が高くなり、薬を飲み始めました。12年、ついにダウン。透析に入りました。友達に透析患者がいましたので、透析とはどんなものか話に聞いていました。
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13年のある日、透析に行きましたら、先生に「すぐに入院して下さい」と言われました。話を聞くとB型肝炎に感染しているとの事でびっくりしました。血液検査でわかったようです。
一日目は何も無かったのですが、二日目から気分が悪くなり、三日目から吐き気が酷くなり苦しみました。吐いて、吐いて、気が変になりました。食事もだめ、水もだめ、点滴の毎日でした。
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14年9月、最後の稲刈りをしてからシャワーを浴び、病院へ行きました。何となく気分が悪くなり廊下でしばらく休みました。透析前のトイレに入り用をたすと、次第に呼吸が困難になり、呼び鈴を押しました。すぐに看護師さんが来たので、息が苦しいと訴えると、衣服を切り裂き、透析室へ。直ちに酸素吸入。「がんばって、がんばれ」の声が聞こえるが苦しい。「心不全だな、がんばれ」との声も聞こえる。だんだん意識が薄れてくる。意識が無くなる。何も覚えがない……。
3時間位たってから意識が戻る。呼吸が楽になった。「具合は良いですか」看護師さんの声。「はい」と答える。病室へ行くと妻が待っていた。シャント作製から3回目の入院だ。
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15年のある日、退職した佐渡汽船運輸へアルバイトに行った。一日目は何事も無く終わった。二日目、右手右足が重い。おかしいなと思いながらも仕事が終わり、運転日報を書こうと思ったが、書けない。ヘビがのたくった様になり、やっとの思いで書く。脳梗塞らしい。車の運転は出来る。すぐに佐渡総合病院へ行った。軽い脳梗塞で4回目の入院となった。軽かったので間もなく退院。しかし、腎臓に腫瘍ができた。様子を見ることになった。
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16年、腫瘍が大きくなり摘出した方が良いとの事で入院。5回目。摘出に成功。腎臓がんだった。エコー検査で腎臓が一つしかない事がわかっていたので、腎臓のない人間になりました。それでも生きているのは透析のお陰です。ありがたい事です。
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17年、白内障で6回目の入院。
先生や看護師、スタッフの皆様、ありがとうございます。看護師さんの献身的な看護に頭が下がります。これからも宜しくお願い致します。
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