ご出身は
 28年前に疲労と過労で肝臓を痛めました。

 入院した時は肝硬変との紙一重と言われ4カ月半病院で暮らし、お世話になりました。

 食事制限があったものの体を休ませているだけの生活でしたので辛かったです。「今日は朝ごはん食べないで下さい。血液を取り点滴をします」と言われ一日とも楽な日はなかったです。でも家の人が来てくれた時は具合が良くてとてもうれしかったです。でもまた点滴がきます。もう80本目の時は血管もでなくなりあちこち針をさし、両腕の薬がもれて真っ黒になりその痛いことはなった人にしかわかりません。点滴を休むこともありました。足からも何回も打ちました。体がかゆい日も良くあり、目もかすむ時もありました。

ご出身は
 私はこんな短い人生なのかと思い、でもこんなことには負けてはいられないと思いました。

 その時、孫の顔を見るとまだまだ家に帰って子守りをしなければと思いました。その孫は七カ月でした。今ではりっぱな調理師でお年寄りの食事を作っております。

 家はいいです。姉ちゃんが「私が面倒みてやるからね」と言ってくれます。言葉だけでもありがたいです。やさしい家族です。

 一番辛かったのはお風呂に入れなかった事です。まだ月に一度は肝臓の検査は続けております。

ご出身は
 十年前には脳梗塞も患ってしまいました。

 それは人には話ができない程辛い頭痛でした。

 初めはただの頭痛で入院していたものですから、痛みだすと点滴をして薬を飲んで寝ているのくり返しでした。これで治るのかなと不安でした。同じ病室にいる人たちが時間を見てはテレビを見に行くので、とてもうらやましかったです。

 退院の時期がきまして家に戻ったのですが、少しも体の具合がよくならないので、家の人に別の病院を勧められ行ってみたところ、まだまだ調べる事がたくさんあると言われショックでしたが、病気がみつかり入院しないで通院しながら治しましょうと言われ安心しました。

 この頭痛は人にはわかってもらえない痛さ。自分の体は自分で考えなくてはと思いました。誰も知らないこの辛さ、痛みはいつとなくおそってきます。その時はあせらず頭痛がしたら薬を飲み体を休め楽にして横になる事でした。毎日このくり返しでしたが、日につれてなんとなく少なくなっているのがわかります。

ご出身は
 病気になったらあせらないで良く考える事です。

 友達ができたようにつきあっていこうという気持ちで、前向きにいこうと思います。

 言葉のようにはできませんが、なるべく近づく気持ちで努力を第一にと思ってがんばります。

 今ではもう外に出て畑仕事ができるようにもなり、本当にありがたく感謝しております。

 仕事ができるという事はなによりもうれしい事です。やはり家族の協力とわかり私はうれしかったです。