今、私が生きていられるのは大勢の皆さんの応援のたまものです。有難いことです。
 思い起こすと、今から11年前のことです。平成8年4月10日。三条総合病院で若い岩渕医師から言われたことは「血糖値 667r/壌黶AヘモグロビンAlc 14.6%、糖尿病です」
 ガクン。3カ月間の入院生活。
 どこも痛くも苦しくもない。一万歩をめざし病院内を散歩。喉が渇き、腹がすいてきます。
 主治医から「10年後は車椅子の生活ですよ」。「ええっ!」信じがたい気持ちでした。

NSTとは
 目がかすみぼんやりしていらいらするので治療で1週間入院。手術で治りました。目薬は今でも使用しています。
 自然排尿ができなくなり管を入れて取り出す事になりました。4時間事に行います。時間に縛られどこへも出かけられなくなりました。困った。
 お腹をこわして低血糖になり、3回も病院へ運ばれ治療を受けました。風邪をひき易くなり血糖値がすぐに高くなりました。
 再度入院です。4人部屋では様々な闘病の実態にふれ、お互い励ましあいました。
 寝たきりの状態で3カ月が過ぎた時、立ち上がれない。歩けない…。歩きたい!歩きたい!と心で叫びました。
NSTとは
 涙がでて泣きだしたいほど痛いリハビリでしたが、若い理学療法士の解良さんが優しく指導してくれました。
 平行棒につかまって一歩、一歩、また一歩と20歩歩けた時には3カ月が過ぎていました。
立てたよ、うれしいね。
歩けたよ、うれしいね。
 しかし、もう退院しなくてはなりません。決まりなのです。大勢の方が待っているのです。もっと続けたいのですが仕方のないことでした。
 脳に水が溜まりはじめました。その為かぼんやりする事が多くなり他施設に検査を受けに行くことに。塩坪看護師から親切な手配をうけ安心して出かけましたが、結果は治る見込みなしと。
「高齢だから手術はしない方がいいでしょう」手術なしでほっと安心はしましたが……。
NSTとは
 退院までに病院のソーシャルワーカーの燕木さんを中心に自宅での療養計画は進められました。車椅子が出入りできるように玄関、廊下の戸が直されました。ベットと車椅子は理学療法士の横田さんから私に合った最高のものを選んで貰うことが出来ました。
 加茂市から派遣された兵田さんが私の状態を認定し、ヘルパーさんを派遣して下さることになりました。感謝です。
 スムーズに自宅での闘病が始まり、このまま続くものと思っていた矢先のことでした。風邪がもとで入院です。今度は個室へ。
 ここで中越地震に遭いました。相田看護師の「大丈夫、心配しないで、私達が守るからね」の心強い言葉に、しっかりと手を握る。すごい揺れで窓も床もくずれそうで怖かったが、大丈夫と思いました。本当に有難うございました。嬉しかったです。
 退院して2年の歳月が過ぎました。今、自分の力で立つことも寝返りすることもできません。人の力をかりなければ生きられないのです。
 月水金曜日は訪問看護師が手当てに、日月火水木金曜日はヘルパーさんが手助けに訪問くださいます。又月一回先生も訪れます。皆さんの来訪が楽しみです。