ご出身は
 平成15年1月15日、ばあ(妻・冨美子)が外出から帰ってくると私に「しゃべりがおかしくないか」と聞いてきました。その時はさほど気にならなかったので、しばらく様子を見ることにしました。三月に入ったある日、ばあが「しゃべりにくいから医者に連れてって」と言うので、佐渡総合病院の神経内科を受診しました。その時、病名ははっきりせず、その後、症状は進行し、手足に力がなくなってきたので何とかしようと、家で草むしりなどさせましたが、病状が悪くなる一方でした。ばあも病名が分からず、不安と体が思う様に動かないもどかしさもあり、主治医に「どこが悪いか教えて下さい」とくってかかる事もありました。
ご出身は
 7月14日から、二週間、新潟大学付属病院に詳しい検査の入院をしました。親類に症状などからインターネットで調べてもらい筋萎縮性側索硬化症(ALS)ではないかと思いましたが、そうではない事を願っていました。ところが大学の主治医に呼ばれ、「高野さん、大変な事が分かりました。奥さんの病名は筋萎縮性側索硬化症です。」と告げられました。予備知識はあったので、驚きはしませんでしたが、やっぱりかと言う感じでした。先生から「難病で治す薬はないが、進行を遅らせる薬はある。明るく前向きに生きましょう」。と励まされ、私もばあに「メソメソしてもしょうがない。病気が分ったので後は佐渡で治療しよう」。と励まし、その後、佐渡病院で特定疾患の申請をし、胃ろう造設、気管切開、人工呼吸器装着、約9ヵ月の入院を経て現在は自宅で介護をしています。寝たきりで、会話は分かりますがしゃべれず、意思表示はまばたきだけです。
ご出身は
 入院中に看護師にオムツ交換、痰の吸引、体位交換を習いました。長期の入院で慣れたので、自宅介護に不安はありませんでした。病院では他人に気を遣う。見舞いに来る人もご苦労で、自分自身も参ってしまい、ばあも家族と一緒だと喜ぶと思い、家に連れて帰るつもりでした。退院後、呼吸器のアラームが鳴り止まず困ったこともありました。家では、ばあの電動ベットの横に布団を敷き寝ています。日本ALS協会の『ケアブックALS』の本を自分の為にもなるので繰り返し読み、困ったことがあると本で調べ、介護にあたっています。又ALSに関連の記事があるとスクラップしています。隔週火曜日の往診、毎週金曜日の訪問看護、ヘルパー、看護師、ケアマネージャーの手を借りての月曜日の車椅子移乗、水曜日の入浴などカレンダーに予定を書き込んで、ばあと一緒にがんばっています。介護日誌は七百日になりました。
ご出身は
 私は現在七十三歳です。私が二十歳、ばあが十八歳の時に結婚し、今は息子夫婦、孫夫婦とひ孫の七人で暮らしています。朝起きて、私もばあも元気でよかったなあと日々過ごしています。医師、保健師、看護師、ヘルパー、ケアマネージャー等、ばあの病気に携わっている方々、もちろん家族にも常に感謝しています。ありがとうございます。