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私は農家の三人兄姉の末子として生まれた。小学三年生の時「ジフテリア」に感染し、血清注射をして助けていただいたことがある。
その頃から風邪をひいては病院に通い、優しく接してくれた看護師に憧れ新大医学部看護学校へ進学した。卒業後、小学校の養護教諭を三十三年間勤めた。
その間、26才で結婚をし、恵まれた二人の子育ては、私に生きる張り合いを与えてくれた。学校で働くこともまた楽しかった。
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45才の時、「子宮筋腫」の手術を受けた。子宮を全部摘出したが、幸い悪性ではなく、養生し元気になり、学校へ戻った。
53才の時、退職を機に健康診断を受けた。「胆のう結石」と言われ、自覚症状はなかったが大好きな旅行に差しつかえるので手術を決めた。順調に回復し、有難く感謝している。
63才、市の基本健診で、「胃癌」が見つかり、刈羽郡総合病院にて手術を受けた。手術で胃を全部摘出し、不安は増すばかりだったが、三週間の入院生活で日毎に元気になることを実感でき医学の進歩に感謝した。 |
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自宅療養に入ったが食欲がなく、夜半に苦い胃液がこみ上げ、ジリジリしてはっと目覚めることがあった。焼け爛れるように食道と喉が痛み出した。胃液の逆流にどうしても耐えられない。涙があふれ、私は泣き続けグッタリしていた。
ふとその時、視界に黒い小さい物が飛んで見えたのをきっかけに体の異常を感じ、すぐに病院を受診した。 |
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「大切な臓器が栄養失調になる寸前。」医師にそう言われ、再入院することとなった。
泣かないと思っていても自然に涙があふれてきた。泣いてばかりいると心も体も弱り切ってしまい、何もかも嫌になってしまった。
しかし、体をいたわる心がけが大切であり、回復に向け前向きにすごさなければと、それまでの自分の心のあり方を反省した。 |
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退院後、地域に通所授産施設ができたのを機に、友人と一緒に9年間ボランティア活動を続けた。
心が元気になり、社会奉仕が出来たことを喜びとしている。 |
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五月の例会は春の野山での会だった。会員がそれぞれ山菜を採って集め、天ぷらのご馳走だった。うぐいすの鳴き声を聞きながらの会食は本当に楽しい催しだった。和やかに笑顔で励まし合う最高の歓びでした。
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